2009.10.30 Friday
昼下がりのジョージ秋山
おはよう。
別にブログとか、知るか。てな感じで、最近は日々の生活を送っていたわけなんだけど、今、なんだか眠れないから、携帯ポチポチするの、許してね。
頑固者が、僕は、ちょっと嫌い。自分固有の信念を持つとかそういった次元の話ではなく、もっと程度の低い頑固者のことだ。自分のものさしでしか物事を見ようとしない人のことだ。
人の話を、とりあえず聞けと。ハナから心のシャッターを閉ざして、「俺(あたし)そういうの興味ないし」とか、言ってんじゃねえよ。たいした知も経験もないくせに(ほとんどの人間はそうだと思うよ)、どっかで聞いたような考え方を絶対的に正しいと思って、他の考え方は決して受け入れようとしない。自分のものさしに合わない人を見ると、あいつは馬鹿だ、と決めつけてしまう。そんな人って、あなたの周りにもきっといることでしょう。
こういったものの見方は、とても損だ。こういった傲慢さは、非常に勿体無い。
価値観というのは千差万別、十人十色である。そういう意味で言うと例えば僕は全くのゼロで、何も無いから悲しい。しかしまぁ、それもひとつの価値観じゃないだろうか。だって、裏を返せば何でもありだもんね…そうなんだよ…。
それぞれの価値観や考え方があって、それが正しいのか間違っているのかはその後の話で、前提としてとにかく寛容で、柔軟でいる方が何かとやりやすいと思うのだ。そう、頑固者は、一度へこむと、再生し難い。駄目になったらとことん駄目になる、それが頑固者だ。逆にうまくいけば、とことん調子づくかもしれない。
昨今の、この不安定な世界の経済状況においては、有象無象の価値観が次々に現れては消えていくようだ。そんな中で、凝り固まった思考を持っているのは危険なことである。だから僕は、その有象無象を、甘んじて受容することの意味を問いたい。
あっちこっちに懐柔されるのは、そんなのは、軽薄だと言う人があるかもしれない。それも確かに問題だ。しかし何にせよ軽さは現代社会における重要なファクターだ。
個人的な好き嫌いの話から少し飛躍してしまったが、僕は、自分固有の信念を持ちつつも、あらゆる価値観に寛容でいることのできる人が好きだし、尊敬する。というお話。である。おやすみ。
別にブログとか、知るか。てな感じで、最近は日々の生活を送っていたわけなんだけど、今、なんだか眠れないから、携帯ポチポチするの、許してね。
頑固者が、僕は、ちょっと嫌い。自分固有の信念を持つとかそういった次元の話ではなく、もっと程度の低い頑固者のことだ。自分のものさしでしか物事を見ようとしない人のことだ。
人の話を、とりあえず聞けと。ハナから心のシャッターを閉ざして、「俺(あたし)そういうの興味ないし」とか、言ってんじゃねえよ。たいした知も経験もないくせに(ほとんどの人間はそうだと思うよ)、どっかで聞いたような考え方を絶対的に正しいと思って、他の考え方は決して受け入れようとしない。自分のものさしに合わない人を見ると、あいつは馬鹿だ、と決めつけてしまう。そんな人って、あなたの周りにもきっといることでしょう。
こういったものの見方は、とても損だ。こういった傲慢さは、非常に勿体無い。
価値観というのは千差万別、十人十色である。そういう意味で言うと例えば僕は全くのゼロで、何も無いから悲しい。しかしまぁ、それもひとつの価値観じゃないだろうか。だって、裏を返せば何でもありだもんね…そうなんだよ…。
それぞれの価値観や考え方があって、それが正しいのか間違っているのかはその後の話で、前提としてとにかく寛容で、柔軟でいる方が何かとやりやすいと思うのだ。そう、頑固者は、一度へこむと、再生し難い。駄目になったらとことん駄目になる、それが頑固者だ。逆にうまくいけば、とことん調子づくかもしれない。
昨今の、この不安定な世界の経済状況においては、有象無象の価値観が次々に現れては消えていくようだ。そんな中で、凝り固まった思考を持っているのは危険なことである。だから僕は、その有象無象を、甘んじて受容することの意味を問いたい。
あっちこっちに懐柔されるのは、そんなのは、軽薄だと言う人があるかもしれない。それも確かに問題だ。しかし何にせよ軽さは現代社会における重要なファクターだ。
個人的な好き嫌いの話から少し飛躍してしまったが、僕は、自分固有の信念を持ちつつも、あらゆる価値観に寛容でいることのできる人が好きだし、尊敬する。というお話。である。おやすみ。





