ライ麦畑でトイレ待ち

サリンジャーについて、何か書いておくべきなのかもしれない。


きっかけが何だったのかさえ思い出せない。
スノッブという言葉さえ知らなかった。


僕はとにかく、優等生然としていた。勉強ができたし、先生には気に入られていた。クラスで浮いている子がいるとすすんで話かけた。不良グループとも、それなりに仲良くしていた。

まぁ、よくある話だけど、優等生然としていて実は、僕は心の中でみんなを馬鹿にしていた。みんな、くだらない、クズばっかりだと。
我が侭なガキばっかりだ。陰湿な女の子たちも嫌いだ。先生たちも、体面を取り繕ってばかりで何も考えていやしない。みんなして頭が悪い。ほんとに、どいつもこいつもクズばっかりだ。

「ライ麦畑でつかまえて」を、僕は何故読もうと思ったんだろうか。

女子の間で嫌われている女の子から、ラブレター的なものを貰ったことがある。僕は、それを破ってゴミ箱に捨てた。なんか気持ちわりぃな、という様子で。
変なプライドを身につけた僕には、そんなひどいこともできた。余裕でできた。一番のクズは自分自身だということにもほんとは気づいていたけれど、そこだけは無視して、変なプライドは、僕をどんどん駄目な人間にしていった。

その女の子は、恥ずかしそうに、僕に尋ねた。手紙読んでくれましたか、と。僕は当然のように、うん、ありがとう、と答えた。出来るだけ爽やかに、もちろん笑顔で。心の中でせせら笑いながら、ありがとう、と僕は答えた。くだらないんだよ、お前も、みんなも、世の中ぜーんぶ。はは、ばーか。まったく、気が滅入る。

最近、街で彼女を見かけた。あまり変わってなくて、僕は少しだけ安心した気がする。僕は黙って彼女を見ていたけれど、最後まで目が合うことはなかった。もう会うことはないだろうと思う。


人は成長する。これは真実だ。だとしたら、今の僕は14歳の僕から7年後の僕なわけで、もちろん成長したはずだ。
ところが、だ。
僕はどうもクズのままのようだ。それどころか、悲しいことに、あの頃大嫌いだった、インチキでくだらない大人に、どんどん近づいている。


……。

今日、駅で、チビッコが「ママー!うんちいっぱいでたゼ!」とどや顔で報告しているところを見た。






ライ麦畑で。

ライ麦畑で、僕は、子どもたちがうんちするのを待っていようと思う。太っちょのおばさまのために、毎日靴を磨いて出掛けようと思う。バナナフィッシュにうってつけの日には、海辺を散歩しようと思う。さようなら、シーモア。ありがとう、サリンジャー。

at 02:33, ジョバンニ, 文学、本

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寒中見舞申し上げます

年末年始の浮わついた雰囲気も消え失せ、あれよあれよという間に1月8日ですがいかがお過ごしでしょうか。僕は2010年になってわりとすぐに21歳になりました。毎年こんな感じです。すっかりアダルトです。ポストモダンの新世代です。

ここ最近、このブログをくだらない小説でうめてしまってごめんなさいでした。最初はやる気マンマン勇気リンリンで、当初の予定としてはもっと壮大なものになるはずだったのですが、案の定気力が続かず、支離滅裂、曖昧モコモコなものとなってしまいました。いま、言い訳にならぬ言い訳をしましたよ。
自分で読んでも全く面白くないので、いろいろ推し量ると愕然とします。阿呆らしいです。


これから少しずつ忙しくなってゆくのでブログの更新もままならない感じですが、これからもひとつよろしくお願いいたします。ピース。

at 03:03, ジョバンニ, 日常の充満

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連続ブログ小説『水で飛ぶ飛行機』その6

 最終話『ありとあらゆるところのリアリティ・オブ・虚構』



飛行機にそれぞれが乗り込んだんだのは十時半で、空は秋晴れに高くどこまでも澄み渡った。

熊野の言っていた飛行機、水で飛ぶ飛行機はちゃんとそこに、はっきり疑いようもなく歴然として存在した。誰も違和感など感じようがないほどに、現象にじっくり融けあっていた。透明な空気に、流線型の美しいフォルムがくっきりと、映えた。広い飛行場に、ポツンとして。滑走路は海に向かって伸びている。カンちゃんが楽しそうに滑走路を疾走していた。

退院してから、急激に元の精神を取り戻し始めたように思えたカンちゃんは、それでも実はやっぱりどこか狂っていて、だんだんと加速するカンちゃんのその狂いは、このところ、もうほとんど常軌を逸し始めていた。今のカンちゃんは、以前のカンちゃんとは全くの別人のようで、本当のカンちゃんの行方は誰も知らない。カンちゃんが何を見たのかも誰も知らないし、知っていても誰も言わないし、ましてこれからカンちゃんがどうなるのかなんて誰もわからないのですっかり放っておかれた。もう終わってしまったのだろうか。カンちゃんの周りの人間は思ったが、言わなかった。そしてその半分以上は、もう終わったんだと思っていた。とても悲しい気持ちで。

「行くよー、カンちゃん」

サトミがカンちゃんに手を振ると、カンちゃんは笑顔で走って戻ってきた。屈託のない、すごくいい笑顔をしていた。

ミエコは、為すべきところを知らない。水で動くというが。シノスケにきいてみても、わからない。ペットボトルに入った素敵な水を、飲んだ。おいしいと思った。

感受性がないんだよ、とヒトシが呟くが、誰も聞いていない。もう一度、感受性がないんだよ、と呟くと、今度はみんな振り向いて「今なにか言った?」という顔をするがその中でもシノスケのそれがいちばん切ない心持ちを含む顔で、一瞬殴りたくなるもミエコの手前必死に我慢した。感受性がない、とは言え、感受性がないのはヒトシなので始末が悪い。ヒトシは、虚構の話なぞ、聞きたくもないとは思うのだが、いかんせん現実的に水で飛ぶ飛行機というもののことを考えるとそうは問屋が卸さないというものである。しまった、と思う先に絶望があれば感覚に頼る他に仕方がない。ヒトシは人形だった。

飛行機は、突然滑走路を走り始める。



実際に飛行機が空を飛び始めてからも、ミエコには何ら実感が湧かなかった。まるで夢の中の自分を、もう一人の自分がそっと見つめているかのようで、気持ちが悪かった。水で飛ぶ飛行機なんて、本当に、あるわけないもの。だってそんなの、ファンタジーか何かみたい。
通り魔事件のような、とても不可解だけれど、いかにも現代的で、現実的な胸のむかつくような事件があって、私はそれについての取材をした。ひょんなことから、すぐにとても大きなネタをつかむことができた。ここにいるサトミちゃんのおかげ。そして行き当たったのがシノスケくんたちで、警察の手が伸びる前にリーダーの彼、牧野くんは自殺しちゃった。思えばそう、今ここにいるみんながみんな、自然じゃなくて、ぜんたい、虚構の存在のように、私には思える。本当に、彼らはいったい何ものなのだろう。いや、そもそも彼らは何ものかであるのだろうか。
熊野の話を聞いたときから、あるいはそのずっとずっと前から、私は違和感をもって生活をしていたんだっけ。忘れちゃったけど。その違和感が恐怖に変わるまでに、そんなに時間はかからなかった。曖昧で抽象的、リアリティの決定的な欠如。それがたまらなく怖かった。でも、よくよく考えると、その正体は、とどのつまり、私、私自身だ。いや、よく考えるまでもなく、はっきりと、自明のことだ。どうして気づかないフリをしていたんだろう?怖いから?私はいったい何ものなのだろう。怖い、怖い、怖い。私は、何ものでさえない。だから、絶望も希望も容易い。私は生きることにも、まるで死ぬようなことにも、飽いてしまったんだった。現実が現実じゃなくなっていくのが、そういう私が、ただただ、怖い。


遥か雲の上を、悠然と、水で飛ぶ。飛行機から漏れ出した水を、誰も止めることができなかった。このままでは、やがて水はなくなり、飛行機は飛ばなくなる。


シノスケは水まみれな上、ヒトシに腹を殴られた。臆病なシノスケは、しかし、自分の死に対しての感覚が弱かった。このような非常な危機の状況下でさえ、頭に浮かぶのはシュールな考えばかりで、花から花へ蝶々が飛ぶように、シノスケの思惟はあちこちへ散漫する。
溢れる水を止めることが出来ない、ということは、死ぬのだろう。牧野のように、あるいは、自分が殺した名も知らぬあの太ったおばさんのように。どんな気持ちがあるのか。何かと殴るヒトシってやつや、あの首を締めて欲しいと言った女の人、気狂いみたいなカンちゃん、ちょっとむかつくカンちゃんの彼女、牧野、牧野の冷たい目、牧野の冷たい手、その手が自分の首にかかって、圧迫すること、それがすごく良くて、忘れられなくて、鼻血が出るほど、頭の中は蝶々が飛び回る。

「死にたいんだって、みんな。もう、いい加減うんざりしている。唯一のファンタジー。本当のファンタジー。うっとりするほど、素敵なもの。ありとあらゆるところに、それは確かに在る」


水が完全になくなってから、飛行機は飛ばなくなった。その時、透き通る青い空が一瞬収縮したようになったが、それは彼らの見た錯覚だった。






おしまい

at 00:02, ジョバンニ, ジョバンニ

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連続ブログ小説『水で飛ぶ飛行機』その5

 第五話『何度も呼んだけど返事がなかったので死んでしまったのかと思った』



綺麗な花束をひとつ、胸元に。それから念入りに化粧をした顔をちゃんとセーブしつつ、裏切らない音楽の変わらないメロディをバックに流している。思うことがある。フィクションではないのだろうか。水で飛ぶ飛行機なんて、どう考えてもおかしいじゃない。それにあの子たちだって、とてもあんなことをするようには見えない。みんな賢くて、とてもいい子たちだった。どうしてだろう、物理的に可能なら、想像し得るものなら、それが現実だとでも言うのかしら。馬鹿馬鹿しい。ためしにちょっと、諦めてみる。そういうものだと。でも、どうも気持ちが悪いし、本当に怖い感じ。みんな心の中では死にたいのかな。私は、死にたいと、思ったことはない。だからといって、生きていたいと強く思うこともない。これはそういうものなんだろうけど、やっぱりどうしても腑に落ちないのは、水で飛行機が飛ぶなんてこと。そんなことないって方がなんとなく、いい。

Aセクシャルというらしい。彼みたいな人のことを。そういう人がいるってのは知っていたけれど、今まで見たことはなかった。いや、自分が知らないだけで周りには意外とたくさんいるのかもしれない。とにかくちゃんと知ったのは、初めてだ。たしかに彼はどことなくそんな風だし、別段驚きもしないけれど、やっぱり、違和感があるのは本当。最近は、とても違和感が多い。違和感なく生きていた今までの方が、実は異常だったのかも、なんて思ったりもするけど実際よくわからなくなる。第一、私は自分を現実的な思考を持っている人間だと信じていた。それがずいぶん混乱して、わからなくなっている。綺麗な花束はいい匂いがする。色とりどりで目が痛い。目と心が歪むようになる。現実がよくわからない。このことだけでも本当に本当に私は恐ろしく思うのだ。





佐伯は、自分の孫がまさか犯罪行為をするような人間に育つとは、夢にも思っていたなかった。はじめは万引きか何かしでかしたとのかと思ったが、それどころではなかった。自分の孫に、殺人罪の容疑がかかっている。信じられなかった。あいつは、そんなことするような子供じゃない。素直で優しいとても純朴な子だ。人を殺すなどということは、まずあり得ない。佐伯は何度も自分の耳を疑った。あの子と同じ学校の子らが数人が、検察で取調べを受けているという。彼らはみな14歳以上で、罪に問われる。
佐伯の娘、あの子の母親は、あまりのショックに茫然自失の体である。学校には保護者やマスコミが押しかけて、とても授業どころではないらしい。父親はというと、佐伯と同じくまだ信じられないという様に、妻を慰めてみたり、何かできることはないかと調べてみたり(何をするべきという明確な意志もないが)、始終あたふたしていた。恐怖と恥辱と怒りと憐憫で、判然としない表情を浮かべていた。
佐伯は自問した。もちろん何かの間違いだと信じたい。あの子に限ってそんなことはありえない。人を殺す理由もない。度胸だってない。捜査一課に長年務め、凶悪犯など腐るほど見てきた自分が言うのだから……しかし、彼は本当は、最初からすべてわかっていた。本気で見ないふりをすると本当に見えないと錯覚する。彼は知っていた。シノスケが人を殺した。





革命グループAは即日解散した。ファンタジーの復権はおそらく失敗に終わる。

「俺、しくじったかも」

と、最後の学校の帰り道に、牧野は、シノスケにだけ漏らした。あらゆる自信を失った彼からは覇気という覇気が根こそぎ奪い取られたような形である。

「しくじったって、何を」

シノスケは少し高圧的な態度をとった。彼は逆に気が大きくなってしまっている。シノスケは牧野の俯き加減の顔をじっと見つめて見つめ尽くしたけれど一向に牧野の返事はない。

「牧ちゃん、何を」

牧野は答えず、踵を返して歩き出した。牧野の家路からは外れる道に入り、いまだ騒然とした駅に向かい、そこで切符を買って電車に乗り、三つ目の駅で乗り換える、それからまた三つ目の駅で降りて、歩いて十五分のところにある学校の部室にはもう誰もいないと思っていたのだがヒトシがいた。

「誰?」

「誰だっていい。俺が誰だとかそんなことは問題じゃない」

ヒトシは普段牧野が座っている大きめの椅子に座り、机に頬杖をついていた。表情からは何も読み取ることができない。のっぺらぼう、と牧野は思った。
夕陽が教室全体をオレンジに侵食して、何もかもがオレンジ色でうざったく、くるくると印象の変わりやすい季節を、ヒトシも牧野もあまり好きではなかった。のっぺらぼう、と牧野は思った。

「ここで何してるの?」

「お前に訊きたいことがある」

牧野は返事をしなかった。ひどく疲れていたし、言葉を発する気にもなれない。そこは少し肌寒かった。牧野はゆっくりと他の椅子に腰掛けて、うなだれた。

「あの水は、いったいなんなんだ?」

牧野は答えずうなだれている。

「答えないならお前を殴る」

牧野は返事をしない。

「答えても殴るけど」

牧野はうなだれたまま動かないし返事もしない。
ヒトシはゆっくり歩いて牧野近づき、その腹を殴った。牧野は勢いよく椅子から倒れた。ヒトシは、つまらないと思った。つまらない感触、拳から俺の脳に直接語りかけ歌いかけるようなあの電撃のようなものがないではないか。真に、心から俺が求めているものがないではないか。あぁ、つまらないし水の話は聞けなかったし、それにここの淀んだ気怠い空気は嫌だ。
すでに牧野は自殺していた。




つづく(そろそろ疲れてきたので次あたりで最後にしますううううううううどん)

at 23:37, ジョバンニ, ジョバンニ

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連続ブログ小説『水で飛ぶ飛行機』その4

 第四話『虚実ウォーター』



ひどくにおった。ヒトシはにおいに敏感だった。ミエコはとてもセックスのにおいがする女なので、いやだった。はじめはどうにも我慢ならなくて、ミエコを疎んじることもあったが、次第にミエコのにおいにも慣れていった。慣れてからは、普通に話も出来るようになった。不思議にも、ミエコを殴りたいという気持ちにはならなかった。
ヒトシの目は最初鋭くとがっていたが、それはすぐに解けて、今じゃとっても柔和になったな。と、ミエコは思った。外見も、物腰も、何だか輪郭がはっきりしているのに中身が抽象的で、人形みたいな印象のある人だと感じていたが、何度か会ううちに、彼はつまりそういう人であって、彼がそういう人であるというまさにそれだけのことにすぎないと、理解できた。納得した。ヒトシの書く、どこか達見した、細々とした風なエッセイをミエコは非常に気に入っていた。しばらくすると、ミエコはヒトシに対して、とても打ち解けるような心持ちになって、仕事以外の、他愛のないこともプライヴェートなこともいろいろと話すようになった。ヒトシは黙って何でも聞いてくれた。普通の男の人にありそうな下心は微塵もないようだった。それだけに、ついついしなくてもいいような話をしてしまう。

「今日、面白いものもらったの」

「面白いものってなんです」

ヒトシは無表情だ。笑うこともしない。当然泣いたり怒ったりもない。だから表情から余計な感情を想像する必要もないし、こちらもわざわざ無駄に笑ったり怒ったりの表情を作らないですむ。ミエコにはそれが楽で心地良かった。

「これ」

ミエコは鞄から透明のペットボトルを取り出した。中には三分の一ほど透明の液体が入っていて、窓から差し込む太陽の光でキラキラしていた。ヒトシはそれがまぶしいと思った。

「ある男の子からもらったんだけど、というか無理やり奪っちゃったんだけど、これ、すごく綺麗だと思わない?」

「わかりません」

「そう。私も実はなんの液体なのかわかんないんだけど、なんていうか、すごく、魅入られたようになっちゃって。その男の子が如何にも大事にそうに持ってたんで意地悪な気持ちになって、見せるのも嫌がってたんだけどね。全部じゃなくて、ちょっとだけ、こっそりこのペットボトルに入れたの」

「ただの水じゃないんですか」

「ただの水だったら、あんなに大事そうにはしない。それにこんなに綺麗な感じのする水って見たことないし、何かあるのよ、きっと」

ヒトシはミエコがそういった不確かなものに入れ込むのを見て、非常に不可解だった。根っからのリアリスト、冷静でひどくさっぱりした性格をしている女だと思っていた。それが、水のような液体を綺麗だのなんだの宣う、こういう女らしい面もあるのか、と意外に思った。そしてすぐにそんなことどうだっていいと思った。殴るべき女じゃない。




牧野の体ににじんで、揺蕩う自分は、今ひどく変な形をしているようだ。と、シノスケは思う。人間としてきちんと独立してないような気持ちになる。でも、普段どこへでもつきまとう寂しさはなくなって、充実する。とても充実する。それが嬉しくなるが同時に、しばらく元あった場所に帰れなくなる、長い旅のような不安を持つ。牧野の隙間を通ってさらに牧野へ深く染み込む。そうやってにじんで染み込むと頭の中の毛虫がいなくなり具合がよい。超現実的に具合がよい。次第に、染み込む感覚と快楽の境目がなくなって回る無限。

「大丈夫か、おい」

牧野の慌てたような声がして、シノスケは覚めた。ぼやけている物体がだんだんと具体的になるにつれ、頭の中のシークエンスもはっきりする。牧野の心配そうな顔が見えた。

「ちょっと気を失ったかも。でもすごくよかった」

「はぁ、焦った。マジで。もうしないからな、こんなこと」

「水が飲みたいな」

牧野は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して、シノスケに渡した。そして机の上に置いてある煙草に火をつけた。シノスケはぐんぐんおいしそうに水を飲んで、ぷは、と言った。

「そうだ牧ちゃん、水のことなんだけどさー」

「あぁ、いずれにしろその二人とは接触しないと。えっと……」

「ミエコって女の人とヒトシっていうすっげえ殴るやつ。ほんとむかつくの」

「そうそうその二人。まぁ、見られただけなら大丈夫だと思うけど……たぶん」

「見られただけじゃなかったら?水をとられたりしたら?」

「超まずい」

「超って、どんくらい?」

「そうだなー。人が何人か死ぬくらいかな」

シノスケの鼻から、血がピュルッと噴き出した。





サトミは、通り魔事件被害者でこの病院に入院している少年の、恋人だという。ミエコは、ラッキーだと思った。

「ちょっとお話を聞きたいんだけど、時間あるかな?」

病院の中にある喫茶店に入った。サトミはオレンジジュースを頼み、ミエコはコーヒを頼んだが一口も飲まなかった。ミエコはできるだけサトミの心の傷というものを抉らないように、どういう風に話を聞けばいいものやらと思案したが、それはまったく杞憂だった。サトミは基本的にすらすらと、素直に何でも話した。被害にあった恋人がどんな人だったのか、事件の後でどんな風に変わってしまったのか、時折瞳を潤ませ声を詰まらせながらも詳細に話してくれた。
サトミは演じるべき役割があるときは、その役を全力でつとめる。善悪の基準はなく、正しいかどうかの判断も、与えられた役割の中で最大限芝居がける。そうやってでしか、生きてこれなかった。

「あなたの彼氏に傷を負わせた犯人に対して、なんて言いたい?」

「あ、その、犯人なんですけど」

サトミはわざとらしく一息ついた。

「実は、心あたりがあるんです」

え?ミエコは予想を大きく超える返答に対して少し呆気にとられ、目を丸くした。心あたりって?

「うちの高校の囲碁部です」

「は?囲碁部?」

「はい、表向きは。でもその裏で、かなりやばいことやってるみたいなんです。部長は牧野って男の子です」

ミエコは拍子抜けした。この子は、何か妄想癖でもあるんじゃないか。囲碁部?ミエコの中で囲碁部と通り魔事件は結びつけようにも結びつかなかった。結びつけるには、今ひとつ想像力が足りなかった。

「どうして囲碁部がそんなことするのかな?」

「部活はなんだっていいんですよ。彼らにはもっと別の目的があるんです。組織的に動いてるんです」

ミエコの頭に60年代ごろの学生運動が浮かんだ。ひょっとしたら、今の若い子の間でまたそういうものが流行ってるのかもしれない、と。

「目的って何?そして、具体的にどんな活動をしてるの?」

「あ、彼ら、ポスター配ってたんですよ学校で。それ見ますか?」

「えぇ、是非」

サトミは何やらごちゃごちゃしたオリジナルの装飾を施している学校の鞄から、一枚の紙をもったいつけて取り出した。それは、ポスターと呼ぶにはあまりに簡素なものだった。真っ白な背景、上に大きくAの文字が黒字であって、その下に「Fiction is A real」と書かれていた。右下には、弱々しい文字でMr.Waterと署名のようなものがしたためてある。ミエコはすぐにシノスケのことを思い出し、それから熊野のこと、水で飛ぶ飛行機のことを想起して、気分が悪くなった。サトミにシノスケを知っているかを聞く気力もないくらいに、一瞬で弱った。ミエコは頭を抱えた。かろうじてサトミの連絡先を聞いてから、サトミを帰した。

サトミは帰り、夕暮れの電車に揺れて、不意にとても泣きたくなった。病院で散々泣いてきたのに、今度は、なんだか不明な気持ちが胸の奥から湧いてきて、とても泣きたいと思う。時折、あった。精一杯役を理解して、それを演じて、もうすっかりそれになりきっていると言っていいくらいなのに、たまに、そんなこととは全然違った心持ちになって泣いてしまう。その泣く行為に、サトミは、怖い、というのは少し違うけれど、それにほどほど近い感情を持っていて、とにかくじっと耐えた。どの役としてなのか。恋人として、友人として、娘として、妹として、あるいはもっと細かく複雑な役柄としての気持ちなのか。どれほど自分の役を細分化してもだめ。こうして理由も何も不明であるから、どうしていいかわからない。夕暮れの陽が強く、オレンジや紫色にいやらしく変化する空が、電車の窓から見える。ビルやなんかがどんどん通り過ぎて、不明な気持ちは、だんだんと、本当はもう生きていたくないんだという気持ちに近づいていった。





つづく

at 00:32, ジョバンニ, -

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連続ブログ小説『水で飛ぶ飛行機』その3

第三話『通り魔事件』



飛行機が離陸するときに、人は空気の重みを感じることができる。その中にあって人は、普段意識することのない重力を全身で感じ、何だかこそばゆいような、不思議な気持ちになる。飛行機が空中を漂うと、その不思議な気持ちは昇華する。空は真っ青で、エネルギーの作用の様子が確認できない。ぐんぐん上昇する。気持ちはなくなるし、眼差しはうろたえる。そういう風にして、人は、ゆっくりと死ぬ。
リアリティの居所を、そこにいる誰も、知らなかった。鉄の塊が空を飛んでいる。雲の上を、飛んでいる。水がこぼれだした。皆は慌ててこぼれる水を必死に堰き止めようとしたが、抑える指の隙間から水はとめどなく流れ、次第にその圧力も大きくなっていった。最初に諦めたのはミエコだった。そして、もう無駄よ、と言った。シノスケはひどく狼狽していたが、なお必死に溢れる水を抑えていた。水はもはやこぼれると言うよりは、勢いよく噴き出していた。噴き出す水がシノスケの顔にかかり、シノスケの顔は情けなく、くしゃくしゃになった。カンちゃんは笑ったていた。あまつさえ、この状況下で、冗談を言っていた。配管工呼んだ方がいいんじゃない? ヒトシは黙って、無表情のまま水を抑えていた。冷静だった。そして水の溢れがもうどうしようもない段になると、シノスケの腹を思い切り殴りつけた。サトミは怯え、泣いていた。そうするのが正しいのだと本気で思っていた。




通り魔事件は、市内で同時多発的に起こった。十月十日の正午から同日の午後二時のわずか二時間で、これまでに四人が死亡し、二人が重傷、うち一人は重体だった。被害者に目立つ共通点はなく、年齢、性別もばらばらだった。被害者はいずれも鈍器のようなもので頭部を強く殴られており、犯行の態様が類似していたため、警察は同一犯の犯行とみて捜査を進めた。

「四人死亡、通り魔か」「白昼の怪、無差別殺人」「目撃証言なし、街中の死神」などと、新聞ではセンセーショナルな記事が並び、マスコミはこの通り魔事件について大きく報道した。警察の捜査も大々的に行われたが、犯人に結び付くような不審人物の目撃証言はおろか、決定的な証拠はなにひとつ見つけることができなかった。わかったのは、被害者はいずれも鈍器のようなもので殴られ死亡あるいは傷を負っているということだけ。
テレビや新聞では近隣住民に注意を呼び掛け、いわゆる識者らは勝手に犯人像を想像し、警察の捜査を非難した。

「被害者の方々に目立つ共通点がないことから、何か明確な動機があったとは考えにくいですねえ」

アナウンサーは深刻そうな顔をしている。彼は何よりも深刻そうな顔をするのが得意だった。

「しかし二時間で、10キロほども離れた場所で四人も殺害し、さらに証拠が出ないというのは異常です。確かに動機は不明ですが、複数人による計画的な犯行の可能性は高いとみてよいと思います」

元警視庁捜査一課の佐伯は、高齢だが未だ眼光鋭く、顔には凄まじい経験が刻みこまれたような皺が幾重にも折り重なっていた。テレビに出ても決して笑わないそのキャラクターがかえって人気を呼んでいた。本人はいたって真面目に、世間の役に立てるならと老体に鞭を打って、好きでもないテレビ番組に出ていた。

テレビの報道番組でいくら偉そうなことを言ってプロファイリングしてみても、ますます混乱していくことは佐伯自身よくわかっていた。今回の事件に関しては、長年鍛えられた洞察力が全く意味をなさなかった。それほどまでに、この事件が異常なものだったということである。
何より、動機が不明である。仮に複数人による計画的な犯行であるとするならば、何かしらの目的があって然るべきだ。だが、それが皆目わからない。現役を退いた佐伯にできることなど何も無いに等しかった。あるとすれば、テレビで偉そうに語るのみ。佐伯はひどい自己嫌悪にかられていった。




ミエコはシノスケの話を思い出していた。シノスケが熱く語るには、ファンタジー性の復権は現代社会における最重要事項であるという。何のことかはさっぱりわからなかったが、語るシノスケの表情になにか大事な、人間にとってなにか大事なものが欠けていることに気付いていた。でも、それがいったい何なのか、わからなかった。
暖かくも冷ややかな、過ごしやすい秋の気候で、ミエコの頭は次第にぼんやりした。被害者の入院しているという病院までやってきたはいいものの……。病院の待合室で休憩するミエコの目に、ガラス窓に映る自分の顔。光に歪められてぼやけた輪郭。窓からさす、暖かく心地よい色彩のうわんうわんとした揺れ。恐怖。ミエコはハッとした。そう、シノスケの顔に感じたものは、熊野と水で飛ぶ飛行機の話をしたときに感じたそれに似ていることに思い当り、すんなりすとんと納得してしまった。「わたしたちはそれを喪失している。」

妙にだるい体を持ち上げると、奥の廊下から、どこかで見覚えのある制服を着た女子高生が歩いてくるのが見えた。シノスケの着ていたブレザーとよく似ている。というか、同じ学校の生徒だろう。ミエコは気がつくとほとんど無意識に、その高校生に話しかけていた。





つづく

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連続ブログ小説『水で飛ぶ飛行機』その2

 第二話『水で飛ぶ飛行機』


「私は子供のころからずっと飛行機が好きでね、たまたま家が空港に近いということもあって、よく飛行機を見に行ったものですよ」

「つまり子供のころの夢だったというわけですね。でも、好きだからって、飛行機なんか作りませんよ、普通。しかも一人で」

ミエコは半ば呆れたように言った。熊野は、飛行機好きが高じて自分で飛行機を作ってしまった男である。にわかには信じられない話だが、その飛行機の写真を見せてもらうと、これがよく出来ていた。ミエコは四角い目を丸くした。独特の流線形のフォルム、セスナのような雰囲気はあるが、もっとモダンな感じがする。飛行機のわきには、熊野がカメラに向かって満面の笑み。世界中の幸福が実現したかのような笑み。

「私は学生のころから数学や物理は得意中の得意で、自分で言うのもなんですが、本当に、ずば抜けて得意だったんですよ。それで、大学なんか出なくても、飛行機くらい、なんの一人で作れるんじゃないかと思ったわけです。まぁ、現実はそんなに甘くなくて、納得のいくものが完成するまでに30年近くかかってしまいましたが。ははは」

熊野はそう言って快活に笑った。年の割に皺のない色黒の顔面に、おしるこの餅のように白い歯が際立った。

「それでは、この飛行機の動力である永久機関なるものについて伺いたいんですが」

「今はまだ特許申請中でしてね、詳しいことは言えないんですが……そうですね、キーとなるのは水です」

「水、というのは?水から飛行機を飛ばすエネルギーを生み出すわけですか?」

「何しろ私は独学で、まったくイチからやったわけで……こうしたモノづくりにはどうしても金がかかるんです。特に燃料はね。それでコストの面からも、実用的な面からも、何か新しい……いや、はは、申し訳ないですが、これ以上は言えません。私が作ったのはたまたま飛行機ですが、このいわゆる永久機関は、自動車にだって何だって応用可能です。石油のようになくなる心配もありません」

「それってものすごい発明じゃないですか」

「そうかもしれません、ははは」

熊野は愉快そうに笑った。そんなこと別に大したことじゃない、とでも言うかのような軽さだった。
熊野の言葉には不思議と胡散臭さはなかったが、だからと言って現実味がある話でもなく、まだ記事にはできないな、とミエコはそう判断した。熊野の話は、いまだ夢物語の印象の域を出ない。ミエコは熊野の初フライトを取材する約束をした。おそらく、およそマスコミと呼べるものの取材は私だけだろうな、とミエコは思った。それも仕方がない。ミエコがライターとして携わっているサブカル系雑誌では、嘘でも笑えればそれでよかった。それでもとにかく、記事にするには実際に「水で飛ぶ飛行機」を自分の目で確かめてからだ。
仕事とは関係ないが、ミエコは熊野を憎たらしいやつだと思った。いかにも自己中心的で、くだらない夢を追いかけて、何か……そう、リアリズムが決定的に欠けている。リアリズムの欠如は不快だ。リアリズム感覚の不足は人間として不具だ。


この取材の二日後に、熊野は死んだ。





サトミはカンちゃんの入院する病院に毎日のように通っていた。カンちゃんの傷は徐々に回復していたが、精神的な回復傾向は依然見られなかった。

「カンちゃん、生きていてくれて本当によかった。あたし、カンちゃんが死んだら……」

サトミは声を詰まらせた。この度、期せずして悲劇役者の一員になるを得たので、彼女は自分に与えられえた役割を精一杯演じていた。待ち望んでいたかのように嬉々として。

「カンちゃん、本当によかった。カンちゃん、カンちゃぁん、カンちゃぁぁん」

サトミは演技が少々オーバー過ぎたことに気づいて恥ずかしくなった。
カンちゃんは、無表情で病院の青白い天井を見つめるのみ。事件後、意識が戻ってからもカンちゃんは一言も言葉を発しなかった。食事も摂らず、水しか飲もうとしないので、カンちゃんには点滴が打たれていた。あの元気なカンちゃんが、動かず、喋らず、何も食べない。普段の彼を知っている者がこの彼を見たら、おそらく何かふざけているのだと勘違いしたことだろう。
カンちゃんは唯一の生存者、そしてあの学校の生徒ということもあって、警察はなんとかして彼を喋らせようとしたが、何をやっても無駄だった。それどころかかえって医者を怒らせてしまい、しばらく取り調べができない状態が続いた。
サトミは牧野らにカンちゃんの復讐を果たすべきかどうか必死に悩んでいたが、悲しきグレイス・ケリー、結局、自分の果たすべき役割としては、することは、何もなかった。だから、家に、帰った。サトミ、ゴー、ホーム。





ヒトシは童貞だった。22歳になるが、今までいちども他人と性交渉をもったことがなかった。したいけどできない、のではなく、したくないからしない。それだけだった。ヒトシには性欲が完全に欠落していた。射精の経験すらなかった。
そのせいか、ヒトシには動物的な暖か味というものがまるでなかった。プラスティックのように無機質な雰囲気、無臭の能面、生殖を払拭した新人類か、あるいは人間以下の何かか。
ヒトシは自信を後者のように評価していた。

「性欲どころか、俺には食欲も、睡眠欲さえ、軽く薄く、希薄、希薄そのもの。かろうじてある、ただこのヒトらしい形状を維持するためだけに、かろうじてある、この木偶、出来損ない。そんな風に、俺が、出来ているのだから、仕様がない。俺には、コントロールのしようがない。善悪の彼岸に立って、虚偽の彼岸に立って、俺の欲望は感触だけ、ナマの感触それだけを俺は欲して」

思春期には本気で悩んで自殺を図ったことも何度かあったが、生き延びて、今はただひたすら人を殴っていた。ヒトシは、人形である自分は、殴られる価値がないと思っていた。人間的な感触はないと思っていた。





牧野は、シノスケを執拗に愛撫した。シノスケの顔が牧野の唾液でずるずるに濡れると、牧野の舌はシノスケの首筋に移行し、それから胸、ゆっくりとしっとりシノスケの体は濡れていった。
シノスケは、自分の体を愛撫する牧野の美しく整った顔を眺めていると、中世的というよりは、性別を超越した何か異質な存在に弄ばれているような感覚に陥った。ヒトシに殴られているときにも同じように感じたもの。自分が生贄になっているような気さえした。グロテスクな毛虫は美しい蝶になるとかそんな風な思い込み、シノスケが馬鹿だということはそういった超現実的感覚の鋭敏さにも由来する。

「牧ちゃん」

「ん?」

上目遣いの牧野はいっそう色っぽい。

「首、締めて」

「首?」

「うん。首、締めて」

「俺がシノスケの首締めるの?なんで?」

牧野は不可解に思いながらも少し嬉しかった。シノスケが自分から何かを求めるのは初めてのことだったからだ。シノスケはいつも、マグロよろしく、牧野にされるがままだった。牧野は、シノスケが自分を受け入れてくれるならそれでも構わないと思っていた。しかし、今、シノスケは、懇願した。首、締めて。と懇願したのである。
牧野はおそるおそるシノスケの首に手をかけた。

「もっと強く」

「こう?」

口から小さく息が漏れて、シノスケは苦しそうな気持ちの良さそうな不思議な顔をした。その表情を見て牧野は興奮した。勃起した。そして爆発した。






水で飛ぶ飛行機の取材は熊野の死によって立ち消えとなったが、今度は、連日ニュースなどで話題となっている連続同時多発通り魔事件について取材することになった。週刊誌でもなければ、もちろん新聞でもない。ミエコはあくまでサブカル系雑誌のライターだった。サブカル系、つまりなんでもありだ。
しかし個人的な興味もあった。なんせ数日前に話した人が殺されたのである。熊野、飛行機とは関係あるのだろうか。そんな思いが頭を掠めたが、ミエコはその可能性は低いと判断した。通り魔事件はミエコに瑞々しい現実味を与えていた。現実的な事件が非現実的な夢を語る人間を殺したのである。水で飛ぶ飛行機のことは、すぐにでも忘れることができた。


at 00:16, ジョバンニ, ジョバンニ

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連続ブログ小説『水で飛ぶ飛行機』その1

 水で飛ぶ飛行機があったら素敵だよなー。そんな思いで書くファンタジー。つながるロックンロール。あふれるニューロマンティック。連続ブログ小説「水で飛ぶ飛行機」はじまるよ!





第一話『ミエコ、シノスケ、ヒトシ、そして革命グループA』


昼過ぎに、ミエコは裸のまま失神した。
飛行機の飛ぶ音が「ブゥーン」と低く響いて、それから主婦らの下卑た笑い声が小さく聞こえた。マンションの下は公園になっていて、プラグマティックな遊具が申し訳程度に並んでいた。
整然とした無機質な部屋の片隅では、シノスケがすっかり怯えきって、情けなく震えていた。

「首を締めてほしいと言ったのはこの、この女の人なんだ、おれは悪くない」

こんな思考しか生まれないのは、シノスケが馬鹿だからだ。グロテスクな毛虫が頭の内壁を這った。

「ナムアミダブツ」

無意識に口走って、シノスケは慌てて部屋を飛び出した。立ち上がった時に、鼻血がピュルッと噴き出したのが面白かったな、とシノスケは後から思い出した。

束の間の失神から醒めると、ミエコは服を着て、何事もなかったかのようにそそくさと出社した。生活に現実味を求めるあまり、かえって現実味を失ってしまった。

「未だ生を知らず、いずくんぞ何とかかんとか」

いずくんぞ死を知らん。ミエコには、通常あるべき濃淡がない。ミエコには、絶望も希望もない……貧弱な生きる意志。ミエコはマンションの前を通る時、主婦らのひそひそ声を少し不愉快に思った。




ヒトシは暴力を考えた。

「殴るのが好き、人を殴るのが好き、拳から伝わる肉の感触、この感触、ナマの感触、あぁ、程よく柔らかいが、芯は固い、人の体というのは、なかなかどうして、最も殴るのに適している、つまり、人の体は、この世で最も、殴るべきものだ。俺が歩いている、道を、その道に、人がいたら、まぁ、殴るよね、当然、殴る俺、好きなだけ、殴る俺、殴られるお前、お前の痛み、それを俺は知らない、知らないから殴れる、これは、殴る側の特権と言ってもいいが、実を言うと、互いに殴り殴られるということは、滅多にない。二分される、殴る側と、殴られる側、俺と、お前、少々大袈裟に聞こえるかもしれないが、世界は大抵、そういう風に二分される。何故なら、そういう風に出来ているからだ」

ヒトシはしかし興奮しているわけではなかった。現に無表情であるし、ただ、全身が人を殴るという現実的な感触で満たされているだけだった。

「暴力とは、これは、違う、全然違う、全く別のものだ。暴力とは、もっと気持ちの悪い感じがするものだ。他人の絡みつくような視線、これは暴力、不愉快なテレビ番組、これも暴力、朝、これは間違いなく暴力だ。そういう意味で、俺は、暴力を否定する、気持ち悪いものは否定する、そうやって、俺は暴力を否定するし、お前を殴るし、お前は殴られるし、そういう関係性が、いちばん大事」

シノスケは、ヒトシの足元にうずくまって、もちろん黙っていた。ヒトシの顔を睨むとやはり無表情で、何の感情も読み取ることができなかった。言葉を喋り、人を殴る、精巧な人形のようだった。言っていることの意味がわからない。第一、論理的でない。とにかくはっきりしているのは、シノスケにとっての暴力は、ヒトシにとっての暴力ではないということだけだった。グロテスクな毛虫が体中を這った。
シノスケはヒトシを殺したいと思った。しかし意気地のないシノスケが実際に殺せるわけもないので、ただ情けなく鼻血をピュルッと噴き出すだけだった。




彼らにとって重要なのは、革命ではなかった。重要なのは、夢想、ファンタジー。革命は、言わば歴史的ファンタジーである。歴史に裏打ちされた壮大な夢物語。その復権を企てる十代の集団、革命グループA、そしてその代表、牧野。17歳。名門私立高校でもトップクラスの成績を誇り、しかもハンサム、誰もが羨むような境遇の彼が、革命グループAの代表である。

「杉、俺たちにとっていちばん大事なものは何だ、言ってみろ」

「夢です!」

「夢とは何だ、杉」

「夢とは現実でないことです!」

「現実でないということは何だ、杉」

「夢です!」

「トートロジーではないか、杉」

「夢です!」

云々。
部室の表札は「囲碁部」となっているが、Aのメンバーら総勢二十三名(うち女子七名)は日々この囲碁部室に集まって、夢の復権についての熱い談義を交わしていた。政治、経済、数学、物理、芸術、性、あらゆることについて、あらゆることに内在するファンタジー性について、彼らは毎日のように語った。あるメンバーが言う。

「ある証券マンの話です。彼は、仕事ですから、毎日のように株式や債権を、数字として、取り扱ってるわけですね。それでいつものように、雑然とした証券取引所で、眼光鋭く、目まぐるしく変動する数字の動向を窺っていたわけですが、不意に彼は、無意識の底に入ってしまったんです。えぇ、気を失った、という状態かもしれません。しかし、どうも、様子がおかしい。彼はなんとその間、白く、紫がかった世界にいたというんです。そこで、不思議なことに、彼は詩をきいていたんですよ。普通の詩ではありません。普通の、言語的な詩ではなかったんです。それは資本主義という、壮大な、一遍の詩だったんです。経済の動きは、金の動き、そして人間の動きそのものですからね。それが詩になるというのですから、想像を絶します。そして驚くべきことに、彼が目を覚ましたときに、彼は莫大な利益を手にしていたというんです」

云々。
牧野は、この日、一年前からあたためていた自身の計画をグループで発表しようとしていた。牧野の緊張が伝わってか、部室内には重苦しい雰囲気が漂っていた。沈黙。真剣な様子の牧野は、いっそう儚げに、メンバーらの目に映った。何人かの女子はうっとりした。牧野がその大きな目を見開き、口を開きかけた瞬間に、携帯電話の着信音が部室中に響いた。拍子抜けした牧野がおもむろに携帯を開くと、画面には「シノスケ」の文字があった。

「もしもし」

「あーもしもし、牧ちゃん?やばいよ、見つかった」

「見つかったって、まさか」

「やばいよ、どうしよう」

「落ち着け。誰に、どこで見つかったんだ。ゆっくり話せ」

「あ」

「どうした?」

「鼻血」

見つかった、という言葉に反応して、部室内が騒然となった。突然立ち上がったり、泣き出しそうになったり、牧野にうっとりしたり、シノスケを罵倒したり、とメンバーは様々な反応を示した。牧野は混乱を察して、一旦部室を出ることにした。それから急いでトイレの個室に入った。

「鼻血止まった?」

牧野の声は、優しい猫なで声になった。

「あ、うん。ピュルッってなった。びっくりした」

「見つかったって水のことだよね」

「うん」

「誰に見つかったの?」

「ミエコっていう女のひと。それからヒトシっていうすっげえ殴るやつ」




ミエコは取材のため、時間より二十分早く、喫茶店に入った。店の汚れた壁にかかっているルノアールの絵が怖くてたまらなかった。ぼやけた輪郭、淡く、散漫な色彩……。
ミエコは妙に濃いコーヒーを一口飲んでから、すぐに水を飲んだ。煙草が吸いたいと思って鞄の中を探ったが、一週間前から禁煙していることを思い出した。ミエコはルノアールの絵がたまらなく怖かった。





つづく

at 23:10, ジョバンニ, ジョバンニ

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中学生日記

昔よく聴いていた音楽を、久しぶりに聴いたらやっぱり、当時のことを思い出すから、ちょっとだけ、思い出話を書きますね。


僕が13、14の頃の話です。そら多感な季節ですから、僕も御多分に漏れず多感な少年でした。悩み事も(今思えばくだらないことばかりですが)、たくさんありました。例えばサッカー部が弱すぎて試合に勝てないとか、勉強で一番がとれないとか、エロ本を手に入れるにはどうしたらいいのかとか、そんなごく普通の中学生の悩みです。しかしそんな中で、特に、じわじわと、精神的にきつい悩みが一つ、ありました。僕は、女性がこわかったのです。
と、こう書くと何か、自己陶酔しているような感じがして気持ち悪いですが、当時の僕にとっては深刻な悩みだったのです。女性がこわい、と言っても、女性が嫌い、という意味ではなく、エロ本を手に入れる方法を真剣に考えていたくらいですから、僕のセクシュアリティはおそらくノーマルです。したがって、性的アイデンティティに混乱しているということではないと思います。
しかし性的に倒錯していたのは確かだと思います。僕は特に、好きな子に対して大きな恐怖を感じていました。よく子どもは自分の好きな子に対していじわるをすることがあります。僕の場合は、その作用が逆のベクトルで働いていただけかもしれません。しかし恐怖を感じるというのは、異常な気がします。
女性と言っても、おばさんやおばあさんなどは、こわくはありませんでした。同年代から上の若い女性が、こわかったんです。これはやはり、性的な倒錯があったのだとしか思えません。つまり、僕は、変態だったのです。僕は、変態だったのです。(大事なことだから二回言いました)

それで僕はどうしたのかと言うと、あえて恐怖の対象と接することにしました。荒治療ですが、このままじゃ自分がゲイになってしまうんじゃないかという妙な危機感があったので、もう、やけくそです。
僕は生徒会に入りました。生徒会は主に3年生から構成されるのですが、2年生からも二人だけ入ることになっていました。僕は驚くほどの優等生だったので、先生からの推薦で入りました。
生徒会の先輩たちはとても優しい人たちでした。特に女の先輩は、みんな僕に優しくしてくれました。ことあるごとにお菓子をくれたり、勉強を教えてくれたり、ミサンガを作ってくれたり、仕事を手伝ってくれたり、みんな優しい人たちでした。彼女たちのおかげで、僕の恐怖心もだんだんやわらいでいきました。2年生で生徒会に入ったもう一人の女の子も、真面目でいい人でした。面倒くさがり屋の僕は仕事をサボりがちだったのですが、彼女は嫌な顔ひとつせず、僕の分までクソ面白くもない仕事をしてくれていました。むしろ僕の分の仕事をするのを、ほとんど喜んでいるようでした。
男の先輩たちは部活をしていることが多いので、生徒会室に入ると女性だけ、みたいなことが多々あったのですが、気がつけば僕はそんな中にも物怖じせず入っていけるようになっていました。

そうして、もはや女性恐怖症はほとんど治ったと思っていた年度末、友人らにはやしたてられ、僕は好きな女の子に告白することになりました。前情報で両想いらしいということは既に知っていたので、僕も自信がありました。そして放課後、友達に好きな子を呼び出しもらい、いざ告白、しかし、僕は、その子を前にして、無言で、震え、冷や汗をかき、挙げ句の果てに、そのまま走って逃げました。その後間もなく彼女は転校し(もちろん僕の逃走は関係ありません)、しばらくして僕は何故かヤンキーの女の子と付き合うことになりました。そして僕はパンクスになりました。
その後、後輩の女の子にストーカーまがいのことをされ、塾でもらったラブレターを無視し、友達の彼女に密かに想いを寄せながら、学んだことは、女性はみんな優しいということと、友達に借りたエロ本にはなかなか開かないページがあるということでした。僕は来年21歳になります。

at 02:52, ジョバンニ, 日常の充満

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昼下がりのジョージ秋山

おはよう。

別にブログとか、知るか。てな感じで、最近は日々の生活を送っていたわけなんだけど、今、なんだか眠れないから、携帯ポチポチするの、許してね。



頑固者が、僕は、ちょっと嫌い。自分固有の信念を持つとかそういった次元の話ではなく、もっと程度の低い頑固者のことだ。自分のものさしでしか物事を見ようとしない人のことだ。
人の話を、とりあえず聞けと。ハナから心のシャッターを閉ざして、「俺(あたし)そういうの興味ないし」とか、言ってんじゃねえよ。たいした知も経験もないくせに(ほとんどの人間はそうだと思うよ)、どっかで聞いたような考え方を絶対的に正しいと思って、他の考え方は決して受け入れようとしない。自分のものさしに合わない人を見ると、あいつは馬鹿だ、と決めつけてしまう。そんな人って、あなたの周りにもきっといることでしょう。

こういったものの見方は、とても損だ。こういった傲慢さは、非常に勿体無い。
価値観というのは千差万別、十人十色である。そういう意味で言うと例えば僕は全くのゼロで、何も無いから悲しい。しかしまぁ、それもひとつの価値観じゃないだろうか。だって、裏を返せば何でもありだもんね…そうなんだよ…。
それぞれの価値観や考え方があって、それが正しいのか間違っているのかはその後の話で、前提としてとにかく寛容で、柔軟でいる方が何かとやりやすいと思うのだ。そう、頑固者は、一度へこむと、再生し難い。駄目になったらとことん駄目になる、それが頑固者だ。逆にうまくいけば、とことん調子づくかもしれない。
昨今の、この不安定な世界の経済状況においては、有象無象の価値観が次々に現れては消えていくようだ。そんな中で、凝り固まった思考を持っているのは危険なことである。だから僕は、その有象無象を、甘んじて受容することの意味を問いたい。

あっちこっちに懐柔されるのは、そんなのは、軽薄だと言う人があるかもしれない。それも確かに問題だ。しかし何にせよ軽さは現代社会における重要なファクターだ。
個人的な好き嫌いの話から少し飛躍してしまったが、僕は、自分固有の信念を持ちつつも、あらゆる価値観に寛容でいることのできる人が好きだし、尊敬する。というお話。である。おやすみ。

at 04:28, ジョバンニ, 日常の充満

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